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2021-01-07 15:07:00

やまびこ通信 表紙のメッセージ

やまびこ通信230号 表紙に掲載したメッセージをご紹介します。

 

浅井満代表を偲んで

ありがとう 忘れません

 

優しいまなざしいつまでも忘れません。

何かあったら浅井さんに聞けば教えてくれる。親にとっては心の支えでした。

医療相談会で見事な司会や分かりやすい説明をしていただき、浅井さんに頼んでおけば大丈夫と心強い限りでした。

浅井さんどうかこれからも川崎先生と一緒に親の会を見守っていてください。

「川崎病の根絶」を念じてともに飲んだハイボールのダブルとトリプル。

(ZOOM総会で)浅井さんの声がはっきり聞けました。お姿も拝見できました。絶対に忘れないでしょう。

暗闇の中にさした光、それが浅井さんの印象です。

浅井代表のおかげで私たち家族は病気と向き合い、前向きに考えてくることができました。

33才(だったと思う)浅井さんは、ライオン丸のあだ名のごとく長髪で眼光鋭い働き盛りの青年だった。

「子どもの生命を大切に」という浅井さんの思いは、若い小学校教員だった私の教育姿勢の土台を作ってくれた。

食後の熱い番茶を娘達のために手品のように茶碗を入れ替えて冷ましてくださいました。

いつも私たちに困難に立ち向かうすべを示して下さり本当に感謝でいっぱいです。

浅井さん行くの早いよ。まだ川崎病の原因究明もされてないのにそんなに急いで!

常にどんな方にも対等に同じ目線で話しかつ寄り添ってくれる方でした。

大勢の人が浅井さんを頼りにしていました。みんなに、それぞれに、いつも丁寧で的確な対応をしていらしたのですよね。

治療以外も学校生活のこと、保険や就職、結婚出産等々の不安。そういったことへのアドバイス、過去の「やまびこ」や、本人の講演会で得られるありがたさ。

「質問がなくても僕はいくらでもしゃべれるからね」とよく言っておられました。以下もその内容は横道にそれることなくほぼ川崎病のことだけです。

アルコールをこよなく愛し、旅立つときにもお供にしていましたが、同時に甘いものが大好き。甘い小豆をつまみにして飲む、などはいつものことでした。

もう少し早く出会いたかった。それが本音ではありますが、入会したことで気持ちも楽になり。

我が家は転勤族でしたので、赴任先の病院の情報はどんなにありがたかったか。

 

 事務局より(一部抜粋)

浅井は旅立ちましたが、ここまでやってきたのだから、後はみんなの力で何とか継続することを考えてよと、願っていることと思います。

浅井の思いを大事に、親の会は今まで通りに運営します。親の会を支える一人になって下さい。

子どもたちのためにつながり、情報交換をしませんか。

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